一大事(医療機関と治療院)
肋骨骨折、というのは整骨院でも普通に扱う傷病です。クラニオセイクラル専業になるまでは私も時々診る機会がありました。
「昨日酔っ払って転んだ時に脇腹をぶつけてからどうも痛い。」という患者さんが来ます。「息を吸ったり吐いたりすると痛い。」という訴えのときもあります。胸を前後から圧迫しても左右から圧迫しても肋骨の同じ場所が痛ければこの骨折を疑います。一本だけ露骨が折れているだけならばバストバンドという幅の広い布製の帯を巻きます。それで呼吸してみて痛みがなければその時点で近所の医院へいってレントゲン検査していただきます。整骨院で取り扱える範囲の骨折かどうか必ず医師の診断を仰がねばなりません。
大抵(というか肋骨骨折では私の経験した例では全例)そのまま当院で診させていただくことになります。肋骨はかご状になっているので一本だけ折れていても問題なくくっつきます。当院で治療するといっても、そのまま固定しておくだけなのですが。
そんなわけで肋骨骨折というのは比較的神経を使わずに取り組める骨折だったわけです。
ところが救急の現場で肋骨骨折というとずいぶん話が変わってきます。例えば交通事故で胸をハンドルで強打したときなど肋骨がまとめて何本も折れます。こうなると呼吸が障害されます。場合によっては肺が傷ついて空気が皮下に漏れてくることもあります。肋骨骨折は命にかかわる骨折、であるわけです。
だから同じ名前の付いた骨折でもケースによって随分と印象が違います。「肋骨骨折」という単語の響きは救急現場や大病院と、街のクリニックや(一緒にしては失礼かもしれませんが)整骨院では違ってくるでしょう。
なぜか、と言えば医療はまず命を守るためのものであるからです。
逆のパターンもあります。病院では「何ともありません。」と言われたのに痛みがある。どこの病院へ行っても同じことしか言われない。「異常ありません。」あんまり痛みを訴えると「しつこい」と怒られたりすることもあるのだそうです。(最近は病医院もキビシイ状況ですから気味悪いくらい優しいところの方が多いですかね)
これは医師が薄情なのでも痛みの原因が判っていないためでもありません。医療で問題となるのは「命にかかわる病気であるかどうか」です。「何ともありません」というのも「命にかかわる疾患ではありません」という意味だと考えれば合点が行くでしょう。
ひるがえって治療院です。整骨院をはじめとする治療院は「命にかかわる」病気を治すところではありません。むしろそのような疾患が疑われる場合、適切な医療機関を受診するように勧めることが義務です。それなら治療院の仕事は何か、と言えば「クライアントに機嫌よく過ごしてもらう」ことだと考えます。命には関わらないけれど不快な症状を治したり、病気そのものは治らなくともつらさを軽減したり、あるいは単にセッションの間嫌なことも辛いことも忘れてリラックスするだけでも十分に治療師の存在価値はあると思います。
医療を標榜される治療師は多いです。でも、もしそれが医師を頂点とするヒエラルキーの中での場所取り競争に汲々とすることならばつまらない職業ですよね。
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