人のイノチは尽きるとも
新しい教科書のゲラ刷りができてきました。柔道整復も医療の一端ですから日進月歩の現代医学にちょっとでも近づくべく教科書の改訂もマメにあります。今年の春に入学してくる学生が新しくなった教科書を使います。
私が彼らを受け持つのは三年生になってからです。そして考えてみればそのころ私は五十歳を超えているのです。
二十歳で学習塾の講師のアルバイトを始めてからずっと、何らかの形でものを教えてきました。教壇に立つと私の脳からはドーパミン(快楽物質)が分泌されるらしくいくらでも機嫌よく講義を続けることができます。柔道整復の専門学校でも一番多い時では週に十七コマの講義をもっていたことがあります。準備にその三倍くらいの時間はかかりますが全然平気。さらに休日はセミナーなんかもやっていました。
ところが最近一日の講義が済んだ後、ちょっと疲れたなと感じるときがあります。一晩寝てしまえば元の通りではあるのですが。
それでもいつかは体力が限界を超えて今の仕事量をこなせなくなる時が来るのでしょう。これは生身の体である以上仕方のないことではあります。
さて、「教育」はなぜ存在するのでしょう。教員免許の取得のために講習に通っていた時に教育概論の講師からこんな質問を受けました。
皆様はどう思います?答えは「人の命には限りがあるから」でした。だから若い世代に経験や知識を伝えて文明を継続させていこうという試みが教育なのだそうです。
ちなみに私のもう一つの仕事である医療、これは「限りある命をできるだけ永らえさせる」試みでありましょう。
ただし、クラニオセイクラルの手技は命を長らえるというより「命が機嫌よく過ごすお手伝い」の要因の方が大きいですが。
いずれにせよ今生の私の仕事は「限りある命を輝かせる」ということであるようです。ありがたいことと思います。
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