記憶力
あまり歳をとった、という話はしたくないのですが人の名前が出てきにくくなってきました。それも、どうでもいいような名前(たとえば沢田亜矢子の前の旦那がゴージャス松野である、といったたぐいの)が出てこないことが多いです。
このときに以前書いたEFT(感情解放テクニック)を自分に行うと割と簡単に思い出すことにも気づきました。
人の記憶も机の引き出しと同じで、頻繁に使わない記憶はどんどん奥に追いやられてしまうのでしょう。それを取り出すのにエネルギー療法であるEFTが有効である、ということだと思います。
さて、ものを忘れるためには記憶しなければなりません。この機能が最近の若者は怪しいのではないか。
勤務先の専門学校でのことです。出席状況の良くない学生が担任の先生に呼び出されて注意を受けていました。欠席率が一定の割合を超えてしまうと落第なので、現在どのくらい講義を欠席しているかをわざわざ担任の先生が教えてくださるのです。
「解剖学は三回欠席、生理学は二回欠席」などというように。
学生のほうも単位を落とすのは困りますからこれを熱心にメモしようとします。ところがこれが怪しい。
「エ?僕、解剖学何回休んでましたっけ?」
「今言ったばっかりやん。三回やすんでる。生理学は二回欠席してる。」
「解剖学は三回と・・・。センセ、生理学は何回やすんでましたっけ?」
はじめはふざけて言っているのかと思いました。でも、こういうやり取りを何度も見ているうちに、ひょっとしたら彼らの記憶はヒトの話を聞いてメモをとるまでの数秒間もたないのではないか、という恐ろしいことを思いつきました。
なぜか。記憶を機械に頼っているからです。連絡事項は学校からメールで送られてきます。それを見直せば何も記憶する必要はありません。メモをとる行為も同じだと思われるかもしれませんが、自分で筆記する際には情報を取捨選択して自分の言葉で筆記する必要があります。
そのさいには与えられて情報をひとまず全部(ごく短時間ではありますが)記憶する必要があるわけです。今の若者はその機能が壊れているのでしょう。
試験前になると大量の資料をコピーして持ち歩く学生というのも、初めて見た時は奇異でしたがこれと同じパターンなのでしょう。コピーを何百枚とっても自分の脳で記憶しなければ全く意味がないのですが(事実こういう学生で成績のいい子は極めてまれです)彼らにとってはこれが記憶の代償行為なのでしょう。
愚民教育、という言葉を私はよく使いますが彼らは決して愚かではありません。その証拠に彼らは携帯電話やパソコンの使用法に大層たけています。これは皮肉で言っているのではなくて私には到底彼らのやっていることにはついていけません。まあ、私がひどい機械音痴であることも間違いありませんが。
それだけ優秀な頭脳を持った若者が簡単なメモすらとれない。私はそこにどうしても誰かの意図を感じてしまいます。
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