骨を接げない「ほねつぎ」はカッコ悪いか?
柔道整復師、という正式名称よりも「ほねつぎ(屋)」という呼び方のほうがかつては一般的でした。町中では白地に赤抜きで「ほねつぎ」と記した看板をよく目にしたものです。
脱臼、骨折の患者さんに対するプライマリケアとして柔道整復がかつては機能していたということでしょう。
さて、最近の業界関係者(業界幹部や学会に携わる偉ぁい先生方など)が事あるごとに嘆いて見せるのが「最近の柔道整復師は骨を接げなくなった」「骨を接げる‘'ほねつぎ’を育てなければならない」ということです。
本気でそんなこと思ってますの?
柔道整復師法で「脱臼、骨折の幹部に施術を行う際は医師の同意が必要である」と定められています。具体的にはどこかで転んで手の骨を折った患者さんが「ほねつぎ」の施術所を訪れた場合、施術の前に医師の診察をうけなければならないということです。(医師の診察を受けるまでほったらかしということではなく、患部を応急手当として整復することはできます)
しかるのち、医師が「柔道整復師の施術を受けてもかまわない」という同意をして、初めてこの患者さんは柔道整復師の施術を受けることができるわけです。
復習すれば接骨院を訪れた患者さんは、医家と接骨院との間を往復しなければ接骨院で施術を受けられないことになります。
何か特別の事情がなければわざわざ医科から接骨院へもう一度戻るつもりにはならないというのが普通の人情でありましょう。
しかも応急手当としての整復も、医科であれば麻酔下、透視下(レントゲンを見ながら)行うことができるものを接骨院では文字通りの徒手空拳で行わなければなりません。骨折や脱臼の整復を医師が行うことの少なかった昔ならともかく、これだけ整形外科の発達した現在にあっていかほどの意味があるでしょうか。
もちろん優れた整復技術をお持ちの柔道整復師の先生がおられるのも知っています。私が柔道整復師の学校に通っているときのこと、祖母が叔母の家に遊びに行って転んで前腕両骨骨幹部骨折、というのをやりました。
この部位は徒手整復が困難で、手術を行っても機能障害を残しやすい骨折です。叔母が祖母を接骨院につれていったと聞いたとき、正直私は不安でした。
ところが、です。祖母の骨折は完全に治り、生涯にわたって全く不自由を感じることはありませんでした。
こういう技術は当然尊重されてしかるべきなのですが、高度な技術であればある程習得のためには経験を積まなければなりません。そして現実問題として前記の事情によって接骨院を訪れる骨折患者さんの数は極端に減少しています。正直な話、次の世代にこの技術が伝わるとは考えにくいです。
骨折の整復そのものをルーティンで行っている柔道整復師は少数ながら存在します。しかし、彼らは病院に勤務して病院の枠組みの中で骨折脱臼の患部に施術を行っています。そうして、祖母のケースのような骨折は、まず間違いなく病院の枠組みの中では手術の適応になってしまうでしょう。
柔道整復師が骨折、脱臼の患部に施術することはますます減っていくことでしょう。それは柔道整復師が骨折の治療に不熱心であるということだけではなく医療システムそのものが変化していった結果なのでありましょう。
もちろん、医療の枠組みの中で業務を行う道もあるでしょう。ただし、柔道整復は主流の医療ではなくあくまでも「補完・代替医療」の一員です。医療の及ばないところ、足らないところを補完してナンボのもの、と考えます。
かつて実際に骨を接いでいた人たち、骨折をルーティンとして診ていた先達の経験は尊重されるべきですが、その経験に振り回されてこれからの柔道整復が道を誤ることのないように私は祈っています。
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