エコは誰に優しい?
世の中どこでもエコばやりです。エコ、とつけば何でも善でそうでないものは下手をすると「地球の敵」扱いされかねない今日この頃です。
世界が同一の目標に向かってまい進する、と言えば聞こえはいいですが価値観の統一は一歩間違えば全体主義と変わるところはありません。
暴論を承知で言えばエコは新しい経済活動です。(戦争に代わる、という語を入れるともっとわかりやすいかもしれません)
「地球にやさしい」という言葉がつけば何でも売れます。自動車でも国策でハイブリッドカーを値引きするという代わりにエコカー減税という言葉を使ったほうがありがたみがあります。
一度大義名分が立ってしまえば反対意見は出しにくいのが世の常です。現在のエコ至上主義に異を唱えることには少し根性が要ります。
たとえば間伐材の有効利用といわれていた割り箸は姿を消しつつあります。外食でも割り箸を使わないところが増えています。
なぜ?エコだから。無条件に「善」とされてしまうと議論はそこで終わりです。それでもひねくれた私は外食産業が割り箸を使わなくなったことによりコストがどんなふうに変化したのかを見てみたい気がしています。
もし、わざわざ損をしてまで「エコ」に殉じなければならないのであれば、そういう世の中も嫌ですけれどね。
さて、エコは商業活動の新たなムーブメントにすぎません。であればこそ、アル・ゴアがガンガンに電気を使った生活をしていることと彼の主張する「不都合な真実」には矛盾がないわけです。
ダイエットも健康法も同じ。あらゆる健康法は程度の差こそあれすべて有効でしょう。ただし、絶対に有効なものはこれからも現れることはないでしょう。新しい健康法は大概の場合、新しい商品にすぎません。はやりの健康法に振り回されて大事な健康を損なうことのありませんように。
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