医療の師
TOMOがPTAの集まりで「普通救命講習」というのに行ってきました。消防署が主催してくださるもので心肺蘇生法などの手当てを教わります。
さらに「応急手当普及員」というのもあってこちらは「普通救命講習」を行うことのできる資格です。
10年もっと前のこと、私はその「応急手当普及員」の講習会にいっておりました。確か数日連続の講習だったはずで何日か仕事を休んでいった記憶があります。
その当時私は生意気盛りと言いますか(といっても30代半ば過ぎでしたが)一番カドのあった時期でした。ナニに苛立っていたのかというと柔道整復師のおかれたポジションの中途半端さに、です。
柔道整復師は医療であるのか医業類似行為であるのか、これは今でも見解のわかれるところなのですが私はこれが嫌でたまりませんでした。
「健康保険が使えるんやし、医者と一緒や。」というのんきな同業者の言葉にも「しょせんは医者と違うんやし、テキトーに仕事してたらそこそこ稼げるし、それでいいやん。」という割り切った考えにも同意できませんでした。もうちょっと私のアタマがよかったら「柔道整復を医療に近づける」という無駄な試みをしていたかもしれません。(これは現在もギョーカイ主導で行われつつあります)
柔道整復と「医療」という言葉の位置関係がわからんかった、ということでしょう。
話を応急手当普及員講習に戻します。メインで教えてくださったのはイバ先生とおっしゃる方で年のころは60代くらいに見受けられました。もともと救急隊におられたようで実際の現場を踏まえた話は迫力がありました。
昼の休憩のときもいろんな話をしてくださったのですが、当時行われていた「人体の不思議展」という催しの話になりました。これは本物の人体標本を展示する、という画期的な催しで(その後さまざまな問題点が指摘されるようになりましたが)後日見に言って大変勉強になったものです。
その時イバ先生は「皆さんは人体の不思議展にいかれましたか?」といって図録を見せてくださいました。
「私はこの間見てきました。医療に携わっている以上見ておかんといけないと思ったんでね。」
そのときなぜかわかりませんが、突然私は自分の考えの誤りに気付きました。医療という言葉は人の命を預かる「覚悟」のことやったんや。それを「医師にどんだけ近いか」と勘違いしていたのが私の苛立ちの原因であったということがなぜか突然理解できたのです。
それ以降、私にとって柔道整復が医療であるのかないのかは「どうでもええ」ことになりました。だからそれ以降「医療」という単語はその場の雰囲気によってテキトーに使っています。
応急手当普及員の資格は4年ごとに更新になります。更新講習の時にイバ先生を探しましたがもういらっしゃいませんでした。
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