按摩術営業取締規則
「柔道整復師の業務範囲」について一気呵成にペーパーにまとめようと思っていたのですが怠け癖がついてうだうだしていたところに痛風発作まで起きてしまい、結局「何もしない休み」になってしまいそうです。
柔道整復師の業務範囲が新鮮外傷に限られる、というのが全く法律的根拠を持たないのは「柔道整復師の業務範囲」のカテゴリーに書いたことで充分に事足りるとは思っています。ただ、「柔道整復師 業務範囲」で検索をかけてみると柔道整復師法制定の際の経緯であるとか平成17年の国会答弁をもって相変わらず柔道整復師の業務範囲をうんぬんしておられるケースが多いです。そのあたりについての考察をちょこっと書かせていただきます。誤りがありましたらご指摘いただけると幸いです。
さて、まずは按摩術営業取締規則です。全文を入手できませんでしたのでよそからの孫引きです。
内務省令第10号
按摩営業取締規則左ノ通之ヲ定ム
明治44(1911)年8月14日 内務大臣法学博士 男爵 平田 東助
按摩営業取締規則
第1条~第4条 (省略)
第5条 営業者ハ何等ノ方法ヲ以テスルヲ問ハズ、流派名、又ハ卒業シタル学校、講習所ノ名称、若ハ修業ノ証明ヲ与ヘタル教師ノ氏名ヲ除ク外、業務上、其ノ技能、施術方法、又ハ経歴ニ関スル広告ヲ為スコトヲ得ズ。
第6条~第9条 (省略)
第10条 免許鑑札ヲ受ケズシテ営業ヲ為シ、若ハ停止中営業ヲ為シタル者、又ハ第5条ニ違背シタル者ハ5拾円以下ノ罰金ニ処ス。
第11条~付則 (省略)
そうしてこの内務省令の改正がこれです。
内務省令第9号
明治44(1911)年内務省令第10号按摩術営業取締規則中左ノ通リ改正ス
大正9(1920)年4月21日 内務大臣 床次 竹二郎
第5条ノ次ニ左ノ2条ヲ加フ。
第5条ノ2
営業者ハ脱臼又ハ骨折患部ニ施術ヲ為スコトヲ得ズ。但シ医師ノ同意ヲ得タル病者ニ就テハ此ノ限リニ在ラズ。
第5条ノ3
地方長官ノ指定シタル学校若ハ講習所ニ於イテ「マッサージ」術ヲ修業シ又ハ「マッサージ」術ノ試験ニ合格シ免許鑑札ヲ受ケタルモノニ非ザレバ「マッサージ」術ヲ標榜スルコトヲ得ズ。
第10条中「第5条」ノ下ニ「第5条ノ2、第5条ノ3」ヲ加フ。付則ニ左一項ヲ加フ。
本令ノ規定ハ柔道ノ教授ヲ為ス者ニ於テ打撲、捻挫、脱臼及骨折ニ対シテ行フ柔道整復術ニ之ヲ準用ス。
これを見れば骨折や脱臼の手当てを行っていたのは(按摩術)営業者、今の言葉でいえばあん摩マッサージ指圧師であることがわかります。附則に「柔道の教授をなすもの」が「打撲・捻挫・脱臼及び骨折」に対して行う柔道整復術、とあります。柔道整復術の営業を、(業務に共通するものがあるから)按摩術に準ずる形で認めますよ、くらいの意味です。
これが現在まで続く「柔道整復師の業務範囲」の言ってみれば源流でありましょう。ただし、この「按摩術取締規則」は帝国憲法の廃止に伴って失効していますのでこれをもって柔道整復師の業務範囲の法的根拠をうんぬんするのは誤りです。
もし、これを以て柔道整復師の定義とするのならば「柔道ノ教授ヲ為ス者」ではない私は柔道整復師ではいられない、ということになります。
柔道整復が柔道の活法に由来するものであるなら大正当時の柔道整復術は外傷以外の手当て法を当然含んでいたものと考えられます。たとえば大正年間にブラジルで活躍した柔術家前田光世(コンデ・コマ)はマッサージの技術でも高名であったと言います。ひょっとすれば「外傷への手当て」は柔道整復師が公認を得るための方便であったのかもしれません。
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